衛宮士郎になる前の『シロウ』という少年のお話。
過去捏造です。
エロはありませんが、子士郎受けの表現があります。





年が変わって間もない頃だった。
間もなく始まるであろう聖杯戦争に惹かれるようにして、冬木の街には招かれざる客が集まりつつあった。
マスター達だけではない。
各種機関から派遣された魔術師や監視者、あわよくば聖杯を横取りせんとする者が、それと知れず紛れ込む。

冬木市が珍しく雪で覆われた夕刻、冬木の地を踏み締めた男もまた引き寄せられた者だった。
しかし男は聖杯になど興味はない。
魔術師の端くれではあるものの、まったく商人然としていた。

男はセトーリャ・ブルシュティンと言う。
シングル三つボタンのスーツをかっちりと着こなした様はよくあるビジネスマンだが、薄い印象の容貌と相反する赤茶けた色彩が人種を不明にしている。
かつて異人の入植で混血が珍しくないこの地では取り立てて珍しいものではない。
にもかかわらず目立つのは、同伴している複数の少年少女がいるからだ。
いずれも赤茶の髪に琥珀色の目で男と同じだが、よく見れば似通った容貌は一つもない。
注視すれば血縁がなさそうだと気づけそうなものだが、通りすがりの相手にそこまでは気づかない。
「セト……どこ行く?」
パーマがかった髪の少女が尋ねると男───セトは人好きのする笑みを浮かべ、イイトコロ、と答えた。
駅のロータリーに出るとセトが手配していたリムジンが既に待機していた。
運転手は無言で男と五人の子供達を後部席に迎え入れ、静かに発車した。
セトはちらりと腕時計を見る。
スイス製の手作りのそれは寸分の遅れもなく正確に時を刻んでいる。
予定より幾分か遅れたのは雪のせいだろう、彼らが元いた場所ではこの程度では降ったうちにも入らないのだが。
「これがニホン?……コンクリートばっかり!」
「ミーナ、田舎に行ったら木の家になるんだよ」
「ダイは物知りね」
一番の年かさらしいパーマがかった髪の少女と肩下まで伸びた髪を一つに括った少年はよく喋る。
「そろそろ着くよ、黙っておいで」
はーい、と返事をして二人はおとなしくなる。

やがてリムジンは新都の山の手に建つ洋館へ入った。
敷地からは街が一望でき、降りるやいなや子供たちは興味津々な様子でそれを見下ろす。
「カジミエジュはどっちかな……」
「ユーリ!」
ふと懐かしさに言葉を漏らした少女にセトの厳しい声が飛ぶ。
「ご…ごめんなさい……」
「わかれば宜しい。さあ入るよ、今日からしばらくはここが僕たちの家だ!」

期間貸しの洋館はセトのリクエスト通りにセッティングされていた。
子供たちには二階に一人一室ずつ個室が与えられ、それぞれ大好きな縫いぐるみや玩具や本が用意されていた。
「うわぁ、この子が欲しかったのよ。ありがとう、大好きよ、セト!」
リムジンの運転手を帰した途端に子供たちは騒がしくなる。
子供たちには、どこから来たか・何をしているか・本当の名前は何か、この三点は『家』に帰るまで口にしないように言い含めてある。
先程ユーリが呟いたカジミエジュは『家』のある街だった。
約束は約束、破ったユーリには後でお仕置きが待っている。
「さあ子供たち、エプロンをつけるんだ。晩御飯の支度をしなくてはいけないからね」

セトは裕福なビジネスマンだが、一方で欧米の富豪にありがちな慈善活動の推進者でもあり、ブルシュティン孤児院の経営もしていた。
無論、表向きは……だ。
今回も慈善事業のPRの為という用向きではあったが、本来の用件は魔術師相手のビジネスだ。
子供たちはそのビジネスに欠かせない商品だった。
「じい様は来ないの?」
「じい様と他のみんなはお留守番だよ。サヤは淋しいかい?」
「ううん、ちっちゃい子がいない方がいいもん」
セトの日本語はややイントネーションに癖があるが、子供たちはよどみなく発音できている。
そこへ一番小さな少年が眉間にしわを寄せながらセトの服の裾を引っ張ってくる。
「セト、お肉が重くて持てない」
「……これは立派なお肉だね、切り落としてから運ぼう。シロウ、先の尖った大きな包丁を持ってきて」
「わかった」
青年と子供たちの料理は賑やかに続く。

「ミーナ、ダイ、サヤ、ユーリ、シロウ……長旅ご苦労様。明日からさっそく仕事があるからね。いっぱい食べて、しっかりお休み」
完成した夕食を前にセトは子供たちに語りかけ、両手を合わせて「いただきます」と声を揃えた。


翌日からは食事と掃除は当番制になった。
毎日誰か一人が仕事に向かい、残った子供四人で家事を分担し、仕事から戻ってきた子供の世話はセトがする。
『家』でも同じだったから混乱はない。
初日はユーリが仕事に行った。
翌日はダイ。
その次がミーナ。
そのまた次はサヤ。
ぐるりと一巡して、今日はシロウが仕事へ行く日だった。
「気をつけてね、シロウ」
「ほら笑って!かわいいって思わせるのよ」
「うまくやればセトがお菓子を買ってくれるわ」
「生意気なこと言うなよ、じゃないと痛いことされるんだぞ」
「俺……初めてじゃないもん、大丈夫」
一番年下とあってみなシロウを気にかける。
その様子をほほ笑ましく見守りながらセトは迎えのリムジンが門から入って来るのを視界の端にとらえた。
「さあ、行くよ」

子供たちはサンルームの窓からリムジンを見送りながら、浮かない顔をしていた。
「シロウ、いくつだっけ?」
「こないだ七つになったばかり。初めては半年前だって」
「セトも酷いわね、あたしだって十の時だったわ!」
今年十四になるミーナはそう呟いて口をすぼめる。
「私は九つの時……」
「あんたのは懲罰込みでしょ、ユーリ」
ミーナに言葉を遮られ、ユーリは涙ぐむ。
それを見てサヤはため息をつきながらエプロンを身に纏う。
「しょうがないわ。シロウは容量が大きいもの」
「だよなー」
「さ、片付けをしましょ。シロウ、きっと泣いて帰ってくるわ」

セトとシロウがリムジンに乗り込むと、ガサガサとスピーカーが雑音混じりに音を吐きだす。
「今日はどちらまで?」
「冬木ハイアットホテルまで頼むよ」
「かしこまりました」
マイク越しに行き先を告げるとリムジンがスムーズに動きはじめた。
後部席と前との間には防音ガラスがあり、マイクをオンにしなければ話し声は洩れない。
「どうだい、この街は?」
車窓を眺める少年に男は訊ねた。
暗に君の生まれ故郷だろう、と含めた言葉を正確に受け取ったシロウはゆるゆると首を振る。
「わかんない」
「捜せばご両親がいるかもしれないよ」
「知らないもん。……探さなきゃだめか?」
「いいや、見つかったとしても君が戻る場所ではないね」
「俺、早く『家』に帰りたい」
セトは良い子だとシロウの頭を撫でるが、少年は嬉しそうなそぶりすら見せずじっと流れていく車窓の景色を見つめている。



シロウという名は彼の親がつけたものではない。
本名ですらない。
日本におけるコードネームのようなものだ。
シロウも含め、子供たちはみな東アジアの出身の身寄りのない者ばかりだった。
境遇は様々だった。
貧民窟から素質を見出されて買われた者が多い、ミーナ、ダイ、ユーリがそうだ。
サヤは欧州に拠点を置く中華系の魔術師の長女だったが、弟妹に比べて魔術回路が貧弱だという理由ではした金と引き替えに売られた。
シロウが引き取られたのは三つになる前。
彼は魔術師の家系ではない、血筋を遡ればあるいはそういった者もあったかも知れないが、少なくとも彼の両親と祖父母はそういうものを知らない人種だった。
最初に犠牲となったのはシロウを母乳で育てていた母親だった。
否、犠牲というのは正しくない。
ただ、身体のどこにも異常が無いのにシロウが育つごとに反比例して衰弱してゆき、ついには命を落とした。
出産という大役を終えたことによる衰弱があったことを考えれば、稀とは言え不思議なことではなかった。
しかし、シロウの琥珀色の双眸とそれをぐるりと囲む不可解な虹彩に浮かぶ黒い影、それが何でもない母親の死を不吉な予兆へと変えてしまった。
両親も祖父母もそのまた前の代も日本で生まれ育った生粋の日本人。
冬木の土地柄で異人との混血が多いと言っても、祖父母のそのまた祖父母達はいずれも混血の特徴を一つも備えていなかった。
生まれた時から僅かにあった体毛は日本人のそれで黒いのに、目だけが異様。
信心深い祖父母はシロウをその筋で有名だという僧侶に見せたが何も分かりはしなかった。
シロウには何ら不思議なものなど無いのだから当然だったが、僧侶の軽口に近い「この目はどこか恐ろしいように感じる」という言葉を真に受けてしまった。
少年を守るべき父親ですら、妻の死に動揺し、祖父母の勧めに従って息子を手放すことを承諾してしまった。
まだ若い父親には、子連れでは再婚もままならないという思惑もあったかもしれない。
かくして幼児は己の名をこれと記憶する間もなく、冬木愛育園という孤児院へ預けられた。
その愛育園での生活もほんの数週間で、シロウの記憶が確かな頃には既にカジミエジュの『家』にいた。

『家』は表向きはただの孤児院だったが、実のところセトーリャ・ブルシュティンの養父であるアロン・ブルシュティンの実験施設である。
アロンの研究は魔力の貯蔵。
一般的な身体への蓄積や、魔術回路の充実、宝石への貯蔵といったものではなく、アロンは人体そのものへの貯蔵を研究していた。
自然、人体実験が伴う。
はじめは戦後から不安定な共産主義下で養育がままならなくなった子女を預かるという名目で、子供たちを調達したのが始まり。
日々の生活で精いっぱいの親たちが子供を迎えに来る確率は限りなくゼロに近かった。
そのうちに研究が軌道に乗り、それなりの成果が出てくるようになった。
セトは子供たちの中でもずば抜けて賢く、断絶した魔術師の家系の嫡出子ということで魔術の素養もあった。
アロンと同じ人種だったということもアロンの気に入ったのかもしれない。
アロンは魔術師でありながら古代宗教の敬虔な信徒だった、彼と同じ人種ということはそれだけで信頼に足る同胞を意味する。
セトはアロンの研究を手伝う傍ら、アロンの研究を魔術師相手のビジネスに転化した。
一時的な大魔術の為に魔力を必要とする魔術師はいくらでもいた。
そういった相手に子供たちを『商品』として売る。
非情に思えるかもしれないが、解体されて臓器となるのとどちらがマシかと訊ねられて簡単に答えが出るだろうか。
そう言った意味では子供たちは幸福かもしれないし、別の見方をすれば不幸かもしれない。

ともかく安定して研究を行うには金が必要だった。
魔術協会や聖堂教会への『献金』で安全は確保できたが、子供たちを売る為には子供たちに効率よく魔力を供給させなければならない。
手っ取り早いのが児童の売買春。
金が得られるだけでなく、精を媒介に供給ができる。
一般には眉を顰められる行為も、魔術師の常識でいけばただの魔力供給であって性的虐待ではない。
セトはビジネスが軌道に乗ると信頼に足る『子供たち』から数人を選抜し幹部として育て、研究と育成のための本院と、ビジネスを専門に行う別院を作り運営した。
案の定それらは成功した。
もとは研究の副産物。
しかも高価で脆い宝石と違い原価が安くリサイクルができる。
孤児院の生活の中で家事を覚え、学校には通わないものの基礎教育と数ヶ国語を習得させるようにしている。
何より魔術師としての知識と能力を身につけることで、助手として身請けされるケースもある。
近年はサヤのように魔術師の家系から弾かれた者が『家』に送られることが多く、自然のなりゆきで子供たちの基礎能力も高くなり、ビジネスもより高性能な商品を取り扱うようになってきた。

『家』に収容された子供たちは貯蔵する魔力の純度を高める為、生まれ持った属性から無属性へと作りかえられ、身体の中にいくつもの術式を埋め込まれていく。
その中には疑似的な魔術刻印がある。
次代に受け継がれる事の無いごく一部の劣化コピーではあるが、それにより性能が格段に上がった。
根底から作り変えられた子供たちは、大源を効率よく吸収し、小源を効率よく生産し、本来の限界値を超えてなお貯蔵できる。
そうした過程の弊害はアロンの長年の研究の甲斐あって最小限に抑えられていたが、髪色と虹彩色の変化だけは未だ抑えられずにいる。
否、赤茶の髪色と琥珀色の虹彩はブルシュティン(琥珀)の子供たちにこそ相応しい。
気難しいアロンが人種や信仰を超えて心を開くのは、ブルシュティンの色を持つ子供たちだけ。
子供たちも『家』を離れて生きることができるとは思っていない。
例えそれが歪んだインプリンティングだとしても。
きつい実験や、嫌な『仕事』があっても、同胞と共にある安寧がそこでは約束されているのを無意識のうちに感じ取っているのだ。
身請けが無く、ビジネスにも参加できない子供たちはやがて魔術に関する全てを忘れる術をかけられ、ただの孤児院出身者として社会に出ていく。
そんな彼らの身元保証をブルシュティン孤児院が担う。
歪んだ構造ながらも、誰もが利を得るシステムは既に魔術師の間でも重宝されている。

シロウは稀なケースで『家』にやってきたが、幸か不幸か商品としては上等と言われている。
何より生まれ持って無属性だということ。
そして何より、体内に固有結界を孕んでいたことが貯蔵庫として最適な環境を作り出していた。
固有結界の起動を止めただの入れ子として機能させれば、それは無尽蔵の貯蔵庫となる。
理屈の上では冬木の聖杯を超えるだけの魔力を貯蔵しておけることになる。
ただその為には大源もしくは外部から摂取する魔力が相当に必要であり、実現させるのは現状として無理である。
通常ならば『仕事』を始めるのは十を過ぎてからと暗黙に定められているそれを破ってまで士郎に『仕事』を始めさせたのは、ただひたすらに貯蔵に専念させるためだった。
彼らが第四次聖杯戦争に合わせて来日したのは勿論偶然などではない。
聖杯戦争に参加、不参加を問わず、ここに集う多くの魔術師を相手にビジネスをする為であり、大量の魔力が漲るこの地でシロウの限界値をテストする意味もあった。
幼くとも莫大な魔力に耐え得る身体ならば、相応の魔術師が欲しがるだろう。
生まれながらの無属性は何物にも変え易い、後継不足の魔術師にはうってつけの逸材に違いない。
忌み子として捨てられた少年でも価値ある存在なのだということをセトは知らせてやりたかった。