「どうしたのかな?」
「もう半日も経つ……変だわ、こんなの」
「セトの電話は?」
「ぜんぜん繋がらないの」
万が一に備えて、三日以上セトから『家』に連絡がなければ代理の人間が派遣される手はずになっている。
この洋館はずっと先まで確保されているし、食糧も十分ある。
けれど在るべき日常が崩れたことに、年若い少年少女が不安を覚えない筈がなかった。
「ねえ、ラジオは?」
テレビはない、古ぼけたラジオがラウンジにあったが誰もそれを聞いたことはない。
「コンセントは繋がってるけど……」
「かして」
シロウがラジオを見まわして、器用に裏蓋を開けて中を爪先で弄る。
「ペンある?先がとがってて、軸が細いの」
「えー……コレとか?」
装飾用で実用品ではないらしい羽ペンを受け取るとシロウは細かな歯車を回す。
やがてスピーカーからノイズが漏れ始め、人の話し声らしきものが聞き取れるようになってきた。
「ツマミの中が削れて空回りしてたんだ……」
ダイが感心したように言う言葉を遮るようにして明瞭な言葉が聞き取れるようになった。

≪……では、未だ消火活動が続いています。ホテルの宿泊者の安否はまだとれていません。状況的にまだ建物内に残っていた人も多数あるとみられ、消防本部では特殊救命隊の到着を待っています≫

「これ、ラジオドラマ?」
「……さあ」
「ねえ、サヤ。あっちの空が赤いの!」
「何よユーリ、今はそんなこと……」

≪冬木ハイアットホテル前より中継でお伝えしました。もう一度繰り返します、昨日午後…………≫

四人は息をするのも忘れてラジオを凝視していた。
「ねえ、冬木ハイアットホテル前だって」
「まさか……ねえ」
「だって、ミーナとセト……帰ってこないよ」
「きっと『仕事』がバレちゃいけないから、遠回りしてるのさ!」
「でも昨日倒壊したって……もう、日付変わって朝の四時よ?」
「いくらなんでも遅すぎるわ!」
ユーリが泣き始めるとサヤもつられて泣き始めた。
ダイ自身も混乱していて、二人を慰める術を思いつかない。
シロウは───じっとラジオに耳を傾けている。
事態を把握していても、幼いゆえに理解が及ばない。
だから混乱している三人と気持ちが共有できないでいた。

≪宿泊客、従業員を含め、未だ百名ほどの安否確認が取れていません。搬送先の病院も複数に渡り、暫く完全な安否確認は難しそうです≫

病院は、まずい。
いくら子供といえど自分たちが合法でない行為に加担していることは自覚している。
バレて困るものではないが、面倒事が増えるのは好ましくない。
しかもセトがいなければ子供たちはただの魔力の塊でしかなく、暗示の一つも満足にできない。
簡単な魔術が扱えるセトはともかく、『仕事』をした後のミーナを調べられたら不用意な嫌疑がかかりかねないし、そうなれば子供だけでは対処に困る。
二人が一緒でいればいいが、最悪の事態も考慮に入れなければならない。
「アロン先生に知らせなきゃ……」
まずは『家』と連絡を取らなければならない。
冬木市にいる仲介役との連絡はセトしかできない。
「どうやって知らせるの?」
所持金もない子供たちがとれる手段は限られている。
「FAXは?」
少なくとも文明の利器を蔑む傾向にある魔術師達に悟られることはない。
「教会はごまかせないよ」
「じゃあどうするの……このままじゃ」
カチカチと置時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる。
それが子供たちの不安を煽る。
「モールスは?」
黙りこくった三人に静かに問いかけたのはシロウだった。
くしゃくしゃと紙に殴り書きしたそれを見せる。

IEODTLIEE

まったく不規則な文字の羅列に顔を見合わせたユーリとサヤだったが、ダイはその紙を手に取り眺める。
「SOSだ!」
「何がSOSなの?」
「言葉遊びだよ……aとかiとかの短母音がモールスのトン、Dはde、Tはte、Lはer……二文字以上で長いからツー」
アルファベットをモールス信号に置き換えながら、文章としても読めるように仕上げる遊び。
それは彼らの共通語であるポーランド語であったり、英語であったり、様々だ。
モールスに置き換えると、SOS。
そしてアルファベット読みにすると『イエオデテルイエエ』つまり、家を離れている自分達が帰りたいという意思表示。
異常を知らせるには十分だ。
力を持つだけで使い方を知らない子供たちの精一杯のSOS。
「日本語わかる子、わたしたち以外にいた?」
「Kが別院から『家』に戻ってきたってセトが言ってたわ……」
四人は顔を見合わせると、ホールに書斎に置いてあるFAXを操作し始める。
送り先はブルシュティン孤児院を経営していることになっている会社の事務所。
カジミエジュの『家』宛てであることを示す『KZ』の文字を右上と左下に書き、FAXに流す。
国際電話を経由するそれは遅い。
五分ほど経ってようやく送信終了を知らせる音が鳴り、通信が終了した。
「大丈夫かな」
「きっと大丈夫よ」
時刻は既に五時過ぎ、街の方角はまだ赤い……完全な消火に至っていないことがわかる。
「どうか無事で……」
サヤの声が震えている。
皆、窓の外を眺めている。
いつも『仕事』へ向かう仲間を見送るそこから、空を眺める。
「あかい……そら」
「どうしたの、シロウ?」
「あかい空は、嫌いだ」
小さなシロウをぎゅっと抱きしめてユーリは「そうだね」と呟く。
結局、一睡もしないまま夜が明けた。

日ごろ規則正しい生活をしている子供たちにとって徹夜はかなりきついことだったが、それ以上の不安が眠りを遠ざける。
それでも普段通りを装う。
朝七時の朝食の支度とお祈り。
片づけをしたら自習。
お昼ごはんを食べて、それから……。
『家』からの連絡はまだない。

初めに参ったのはユーリだった。
生まれながらに感応能力に優れている彼女は形容しがたい悪寒を感じ続けた挙句、細い悲鳴を上げて泣き始めてしまった。
詳しいことはわからない。
けれどとてつもなく嫌な予感がすると泣いている。
「……俺、見てくるよ」
「だめ!外に出ちゃダメだってセトが言ってたわ!」
「じゃあどうするんだよ!敵が来るかもしれないんだぞ……」
それは力を求める魔術師か、異端狩りの教会か、封印指定一歩手前の研究を横取りしようともくろむ協会か。
この敷地には十分な目くらましの結界が設けられていたが、それが破られないという確証はない。
いずれにせよ何らかの形で争いになったとしても自分たちに立ち向かう力はない。
「もう一日、待とうよ。何かイレギュラーがあって、どこかに身を潜めているのかもしれないわ」
サヤが自分に言い聞かせるように言う。
もう楽観視できない事態だと気づいている。
何もなければ『家』から連絡がくる筈だ。
それが無いというのは、あちらでも事態を把握しきれていないからに違いない。
「Kは気付いてくれたかしら……」
「大丈夫だよ、サヤ」
ダイがそう言って慰めたがサヤはため息を洩らしただけ。
門が見える窓の傍で、みんな落ち着かない様子でいる。
ふと、サヤがシュワ・ジェヴェチカを口ずさみ始めた。
馴染みのある歌に、誰もが耳を傾ける。
「サヤはKのことが好きなのよ」
ぼうっと聞いていたシロウに、サヤには聞こえない声でユーリが洩らす。
「Kを……?」
「よく二人で一緒にいたわ。シュワ・ジェヴェチカの歌と同じよ。『家』の裏の森で……いつも仲が良さそうだった」
「ユーリ、泣くなよ」
また涙をこぼし始めたユーリにシロウはハンカチを握らせる。
「もし、帰れなかったら……みんなに会えないのかな」
「帰れるさ、ぜったいに」
『家』は疎まれた子供たちに生きるということを与えてくれた場所。
誰よりもわかりあえる仲間がそこにはいる。
お土産を買って帰ると、遠い異国の土産話をしてあげると、約束をしている。
約束は守らなきゃならない、そう心に誓って少女の手を握る。
間もなく陽が落ちた。
いつもの時間に夕食をとり風呂に入った後は、誰が提案するでもなく布団をサンルームに持ち込み身を寄せ合って寝た。
リムジンの独特のエンジン音や、玄関の扉が開く音がしたらすぐにわかるから。