「なあ、アーチャー。」
「何だ?」
「なんていうか、その。このゴーセーな食卓は何だって言うんだ?」
「……愚問だぞ、士郎。明日が何の日かわかっているか?」
「わかってるさ。今日は大晦日で、明日は元日だろ。」

その時のアーチャーの顔は、きっと、一生忘れられないくらい……泣きそうな顔だった。

いや、違う。
怒りも頂点を越すと無表情になって、そのうちに無常を悟って泣きたくなる……って顔。
やけに落ち込んで見えるのは、さっきまでは凄い上機嫌でいたからだ。
「あの……ゴメン、俺、気に触ること言ったか?」
別に悪いことをしたとは思わないが、このアーチャーの表情は間違いなく俺のせい。
だから謝った。
それなのに―――。
「……夕食にしよう、さっきからお前の腹が鳴っている。」
そう言って幕を下ろされた。

何日かぶりに二人だけの食卓はやけに静かだった。
それに反比例するようにテレビでやってる紅白は祭りもたけなわな賑わい。
ちらりと視線をやる目の前の男は黙々と夕食を平らげている。
見た目の豪華さそのまま、料理は豪勢で味も凄く良い。
それをこの男は砂でも噛み締めるような表情でいる。
いたたまれなくなって視線をテレビに向ける。
紅白はあまりしらない芸能人や歌手で埋め尽くされてる。
そう言えば紅白を見るのも久しぶりだ。
去年の紅白ってどうだったっけ……ああ、バイトで見るどころじゃなかったんだっけ。
そう、バイトの後アーチャーと初詣に行って―――
「あ……」
「どうした?」
落としていた視線を漸く俺に向けたアーチャーが淡々とした声音で尋ねる。
「……ゴメン、わかった。」
去年はバイト場から神社へ向かう途中で年をまたいだ。
初詣の後に渡された金色のリングと、約束。
その時の金色のリングはプラチナに包まれて俺の胸にチェーンと一緒に揺れている。
一月一日は、いわば婚約記念日みたいなもの……かもしれない。

アーチャーはこういう記念日や時節行事に細かい。
それを指摘したことがあったが「日々を大切にするということの延長だ」とさらりと流されてしまった。
よく考えてみれば、前の……そう、初めて会った頃には考えられなかった発言だ。
気が遠くなるほどの時を、数えることすらできない時間をすごした英霊。
希望が絶望に、愛しさが憎さに、生が死にすりかわってしまうほどの時を経た男がだ。
眉間に刻まれていた皺も最近はあまり見ない。
安堵を得た穏やかな表情は、ともすると何か悟ったような不安を伴っている。
「あんた、変わったよな。」
アーチャーが変な顔になった。
「いきなり何を言うかと思えば、くだらん。変わらぬモノなど在り得ないだろうが。」
「ん……そうだけど、さ。」
「何だ、変わらないでいて欲しかったか?」
言われて落としかけた視線を上げた。
薄くニヒルに笑って、箸を置いたアーチャーはさっきの俺と同じようにテレビを見る。
テレビは相変わらずのバカ騒ぎで、この部屋の静けさがいっそう強調される。
「そういう風に言われると答えに困る。前のあんたと今のあんた、俺はどっちも好きだし……嫌いにはなれない。本質的な部分では変わったとは思わないし。」
「ククッ……お前も変わったようで、変わらないな。ただ……」
「ただ?なんだよ、気になるだろ。」
ニヤニヤと笑いながら俺の反応を楽しんでいる。
機嫌は直ったようで安心したけれど、これはこれでなんだか腹が立つ。
「いや。さらりと爆弾発言をするのは変わらないが、威力は数段増しになったな。今のは、ふむ、今夜の誘いと受け取って良いのかね?」
言われて、軽く言ったはずの言葉がどうしてか別の方向に突き抜けてヤバイ意味になってしまったことに気がついた。
「あ、いやその、さっきの好きってのは一般的にって意味で、英語で言えばLikeだから!」
「ほう、私には愛がない、と?」
「愛はちゃんとある!……って、何言わせてんだよバカ!」
耳が熱い。
右手で顔を覆っても真っ赤になっているだろうそこは隠せない。
きっと満足そうな笑みを浮かべているに違いない。
「まったく、もう。今晩は何もしない、柳洞寺に初詣に行くって言っただろ?」
「そうだったかな、いやはや私の記憶にはないのだが。」
「そういう見え透いたことを言うのは変わらないよな、ほんっとに……」
「お前のそういうウブなところも変わらないがな。」
小さなやりとりをしながら夕食を再開。
食後のデザートまで用意されていて流石に驚いたものの、そば粉を使った甘味の少ない白玉を添えられた和風モンブランは美味しい。
それでも全体的に量が控えめなのは、柳洞寺で年越しそばをご馳走になることを言っていたからだろう。

「ん……あ!」
食後、食器を洗いながらふと窓の外を見て声をあげた俺にアーチャーが近づいてくる。
「どうした―――ああ、雪か。」
「今年はよく降るなあ……結構地面も白くなってる。積もるかな?」
「さあな。元旦の昼は暖かくなると言っていたから、積もったとしてもすぐに解けるだろう。」
キュッ、と蛇口を閉めて濡れた手を拭く。
「でも、寒くなりそうだな……」
居間の時計は午後8時を過ぎたところ。
柳洞寺へは歩いて1時間ほどだ。
11時には行くと約束をしているから時間はまだある。
「風呂、入ってから行くか?」
「そうだな。では私が用意しておくからお前はここを片付けておけ。」
「わかった。」
先に洗い上げた食器から布巾で拭いていくが、いつもの半分だからすぐに終わる。
桜は風邪を引いて寝込んでいる慎二に付き添っているらしいし、藤ねえは一家揃って温泉で年越し。
静かな年の瀬も数年ぶりだった。
拭きあげた食器を食器棚に戻して廊下に出る。
「アーチャー?」
「ん?」
風呂場を覗けばちょうど掃除を終えて湯を張り始めたらしいアーチャーと鉢合った。
「先に入っとけよ、俺は後で良いから。」
「そうか。」
脱衣場に上がってきたアーチャーにタオルを渡すと濡れた腕を拭いている。
アーチャーの風呂掃除は丁寧なのに異常なほど早い。
「着替えは?持ってこようか?」
「いや、自分で行こう。湯が張るまでにもう少しかかるからな。」

アーチャーの部屋は俺の部屋の隣。
雨戸を閉め暗い廊下を並んで歩きながらかさつく指先を親指で撫でる。
家事でもコペンハーゲンでのバイトでも素手で洗い物をする事が多いし、部活では冬でも真水で雑巾がけ。
手が荒れないはずがない。
逆剥けた爪のそばの皮膚は、ちょっとした刺激で痛む。
「だいぶ酷くなったな。」
「うーん、去年はここまでじゃなかったんだけど。」
手をかざすとあかぎれやひび割れがよくわかる。
寒さの為かあまり血色も良くない。
「もう若くないという証拠だな。」
「なんだよそれ、あんたより全然若いだろ!でも、あんたの手ってすごく綺麗だよな……やっぱりデスクワークだからかな。」
「デスクを馬鹿にすると祟られるぞ?暖房で乾燥した部屋に閉じ込められて、日がな一日紙をめくっていれば紙で手を切ることも少なくはない。ほれ……」
見てみろと右手を差し出されれば、確かに細かな傷跡がみえる。
ムダは嫌いだというアーチャーは魔力でこれを直さず、自然治癒に任せているらしい。
「それなりに気を使ってもコレだ。」
「気を使うって……ああ、あのハンドクリーム?」
脱衣場の洗面台に置いてあるそれをアーチャーが風呂上りに使うのをたまに見かける。
なるほど、今度使ってみるかと思って振り返ると数歩手前、自室の前で立ち止まったアーチャーがいやらしい笑い方で俺を見ていた。
「……なんだよ。」
「まあ、私が指先に気を使うのはお前の為でもあるが。」
「はぁ?」
ちょっとした怪我に魔力を使わないのはいつものことで、それを俺の為というのは違うだろう。
だったら何だというのだろうか。
「ククッ……、お前のナカを私のささくれ立った指で荒らしては、大層まずかろうと思ってな。爪の長さと形、指の傷や皮剥けには人一倍気を使っているのだよ。感謝しろ。」
「な―――ッ、ちょっと、お前!」
ぼふっと音がしそうな勢いで顔が熱くなる。
言った当の本人は嫌な笑い声だけを残して、さっさと取って来たらしい着替えを持って廊下をまた戻っていく。
「何なんだよ、お前!」
廊下にうずくまったまま声をあげると、廊下の曲がり角で振り返ったアーチャーがニヤニヤと笑いながら手を振ってくる。
「使いたければ使ってみろ。水仕事が苦にならなくなる上、床の上でもアレコレ楽になるぞ。」
「馬鹿、さっさと風呂に入って来い!」

カッカと火照る頬を両手で包んで冷やす。
頬に触れる指は硬くて、カサついていて、滑らせると引っかかるような感触がある。
お世辞にも綺麗とは言いがたい。
アーチャーの指はやっぱり綺麗で、硬いけど滑らかだった。
ささくれた指でナカを引っかかれたら、不用意に傷を作ることにもなりかねない。
しかも、すごく痛くて治りにくそうだ。
「あぁっ、やめやめ!」
別の方向に思考が走りそうになるのを無理やり止めて、来て行く服を考えながら引き出しを開けた。
元は同じなのにどういう訳かセンスのあるアーチャーと違って、俺はコーディネートだとかそういうのに疎い。
相変わらず引き出しの中にはアーチャーが選んだ服ばかりが入っている。
しばらく悩んだ後、クリスマスにアーチャーがまた買ってきた服が手をつけないまま一揃えあるからそれにするかと決めて、下着や靴下を引っ張り出して引き出しを閉めた。

伸びた前髪がはらりと睫毛をくすぐる。
それをかき上げて机の上に置かれた鏡を覗き込む。
暫らく散髪に行ってないから髪の毛が鬱陶しいのだが、アーチャーは今風だから良いと言う。
当のアーチャーは前と同じくらいで、仕事の時はオールバックで家に帰るとおろしている。
この前ネコさんに前髪をピンで留められたけど、おでこを出すと今度は童顔が際立って駄目。
俺とアーチャーに違いなんて、そうそうあるわけでもないし。
カラーリングがいけないのだろうか。
顔つきは……俺の方が目が大きくて、アーチャーの方がなんとなくシャープに見えるのは肌の色のせいなのか。
「何をそんな熱心に自分と見詰め合っている?」
「へ……うわぁ!」
気づけば背後にアーチャーが立っていた。
呆れ顔で俺をじっとりと見下ろしているのに引きつった笑いで後ずさる。
「いや、っていうか、風呂早かったな!うん、俺も入ってくる。湯冷めするなよ!」
着替えを引っつかんでダッシュ。
追いかけてくるつもりはないらしい。
脱衣場に入ってドアを閉めて、ようやく息をついた。
洗面所の鏡には風呂に入る前から湯だったように真っ赤な俺の顔。
振り切るように服を脱ぎ捨てて風呂場に入った。

「上がったか?」
風呂と脱衣場を仕切るドアの音が聞こえたのか、廊下からアーチャーの声が聞こえた。
「おう。」
「入るぞ。」
返事を待たずにアーチャーが入ってくる。
アーチャーにしてはラフな格好でいるが、やっぱりどこか危ない職種に見えるのは何故だろう。
ジーンズを履いただけの状態の俺を見るとさっさと服を着ろというジェスチャーをする。
言われるがまま服を着るとがさごそと何かを取り出したアーチャーが洗面台のコンセントに繋ぐ。
「それ……」
「ドライヤーがわからんのか?」
「いや、わかるけどさ。」
あまり得意じゃない。
音が大きいのも、熱いのも、やたら髪の毛が跳ねていくのも。
逃げたい気分だったが、手招きされては逃げることもできない。
仕方なくアーチャーに背を向けて立つと、シュワーッと何かを髪につけられる。
独特の臭いはアーチャーがいつもつかっている整髪剤のようだ。
すぐにブオォーッとドライヤーがうなり始める。
シャカシャカと始めは手櫛で。
気がつけばまた別の整髪剤をつけてドライヤーを唸らせている。
「まあ、こんなものか。ふむ……鏡を見てみろ。」
横を向けば、横から斜めに傾いだ前髪が美味い具合に目にかからず、全体的に遊びをつけた今風の髪形になっている。
「あんたさ……こういうのどこで覚えてくるわけ?」
「なに、お前には縁のないファッション誌を捲ればいくらでも載っている。」
「そんなもの読むんだ。」
「社会人として身だしなみくらい整えて当然だろうが、お前が無頓着すぎる。」
返す言葉もない。
けれどそういったセンスを磨くチャンスを奪っているのが、他でもないアーチャーだと気づいているのだろうか。
与えられてばかりで、自分で考える必要がないのだから。
「時間は?」
「そろそろ丁度良い時間だ。積もるほどではないが、もう暫らくすると路面が凍結しかねん寒さになっているからな。湯冷めしないように厚着しておけ。」
「わかった。」
ワックスをつけたらしく、前髪は揺らしても目にかかってこない。

「今年は新都の神社に行ったんだよな……」
サクサクと雪か霜かわからない、白く濁ったアスファルトのまん中を並んで歩く。
この時間になるともう車の通りはまったくといって良いほどない。
ちらほらと同じ方向に向かう人影が見えるのは、やはり柳洞寺に初詣をしに行く人だろう。
雪は止んでいたが気を抜くと滑って足をとられる。
ほとんどの人が足元を見ながら歩いている。
「新都に比べるとこっちの方が昔は盛り上がってたようなんだけど、あそこの石段が長すぎるってんで、ここ数年は新都の神社に参拝客をとられてるって一成が嘆いてたっけ。」
「まあ、日本人のほとんどは無宗派のようなものだからな。生まれて神社にお宮参り、結婚は教会式で、死ねば寺へと忙しいものだ。」
「そうだな。まあ、一成には悪いけど良いんじゃないか?良くも悪くも神頼みが必要な世の中じゃなくなってるわけだし。」
そういうものが無くなってしまうのは悲しいことだけど、と続けて横を見る。
どこか遠くを見るような眼差しでいた。
「アーチャー?」
「あ、ああ……そうだな、そういうことも時代の流れなのだろうな。」
苦い笑みを浮かべるアーチャーにえもいえぬ不安がかきたてられる。
「それでも、変わらぬ悲鳴はある、か―――」
ぽつりと漏らされた言葉は小さいが鋭い。
英霊であるアーチャーは安穏や安寧とは程遠い場所に在ったのだから。

歩みが止まる。
「俺はさ―――」
数歩先で振り返るその男に言葉を投げかける。
「俺はさ、あんたじゃなかったら……聖杯戦争が終わっても残そうなんて、思わなかった!」
何を言う、という表情で俺を見てくる。
「確かに、最初に契約したのはセイバーだったし、あんたは敵みたいなものだったけど。でもさ、俺にとって、あんたは誰より強くて、格好良くて、頼りになって、憧れで。強いくせに自分のこと後回しで……放って置けないし、俺は……どうしようもないくらい……あんたが好きで。あんたがいなかったら、俺は今の俺じゃない。」
堰を切ったように言う俺の言葉を淡々と受け止めるアーチャーの表情は薄く笑んでいて、それがどこか遠いものに思えて仕方なかった。
「だから……俺はあんたを独り占めしたいと思ったりするし。あんたが英霊の座に戻れば、助かる誰かがいるかもしれないとは思っても、これだけは譲れなくて。でも、あんたにそんな顔されたら、俺、どうしたら良いか、わからなく……なる。」
同じ骨子(じぶん)でも同調(トレース)しきれない気持ちをどうやったら伝えられるのだろう。
口下手な自分が恨めしい。
下唇を噛んで俯く俺の頭をぽふっと撫でて、そのまま抱き寄せられた。
はぁ、と吐いた息は白い。
「さっきの言葉に深い意味があるわけではない、お前はいつも言葉を深読みしすぎる。もっと私のことを信用しても良いだろう?」
困った奴だ、と笑う気配。
斜め上のその顔を見上げると、細められたやさしい色合いの瞳が俺を見ていた。
こめかみや額に軽く口付けられて、ポケットに突っ込んでいた右手を引き出され、掴まれる。
「うわっ……!」
グン、と力強く引かれ、遅れないように歩き出す。
「さて、時間はあと5分で23時だ、さっさとここを上りきってしまわねば遅刻必至だな。」
長々と続く階段を見上げればこの天候でも人出は結構ある。
山門の辺りは若い雲水が寒さよけの上衣だけを羽織って元気に声をあげて誘導している。
「さて、あそこを抜けるだけでも時間を食う。走るぞ!」

こけないよう声をあげる暇も無く足を動かす。
急傾斜の階段を息が切れるまで走り上がる。
人の間を縫い、山門をくぐり、人の多い境内をうまく抜けて、横手にある私用玄関に向かう。
残り数歩で玄関のチャイムに手が届くというところで止まった。
浅く荒い呼吸が喉に詰まる。
俄か汗ばんだ体から熱を逃がすのに自分の胸倉を掴んで冷たい空気を服の中に取り込むとようやく息が楽になった。
「なにすんだよ、アーチャー!危ないだろ!」
「なに、私がついている。大船に乗った気持ちでもたれかかっておけ。」
「……馬鹿」
チャイムを押すとすぐに取り次がれた。
家人が現れるまでのもう少しの時間だけ、暖かい繋いだままの手から離れがたくてぎゅっと力を込めた。
「なあ、アーチャー。」
「何だ?」
「―――あんたを放しはしないから」
人の気配にそっと離れた手のぬくもりはまだ手のひらに残っている。
視線はまっすぐ扉に向かっているから、相手がどんな顔でいるのかは見えないが、わかる。
「言われるまでも無い。今更私を捨て置くことなど、させるものか。」
自信に満ちた声がそう言いきった一瞬後、久しぶりに会う親友が俺たちを出迎えた。