Before the rebirth/目醒めの前に




 確かにセイバーの気配は残っている。いや、気配のようなもの……と言ったほうが良いだろう。それに惹かれて男はその場所を訪れた。

 荒廃した街にポツンと残ったコンクリートの箱。彼の故国とは似ても似つかない、自然を感じさせないモノ。その中を白い服の男や女が忙しなく行き交っている。
 泣き声やうめき声が聞こえ、腐臭とも死臭とも判然つかないそれで満ちている。そこは彼らにとって生き地獄の延長なのだ。薄ら寒いそこも、未だ以って炎の煉獄なのだ。
 そこを男は歩んでいく。真新しい服のポケットに両手を突っ込み、惨状に眉を寄せることも無く。
 やがて角の一室の前まで来ると足を止めた。ネームプレートには一瞥もくれずそのドアノブを見る。手を触れずともそれは音もなく開き、男は狭い病室に踏み込んだ。煤けた灰色のカーテンが厚い雲で覆われて暗い外界と室内を隔てている。
 男は唯一のベッドに横たわる少年に目をやり、初めて表情を変えた。怒りとも悲しみともつかない複雑なそれは誰に見られることもなく、男自身でさえも気付いてはいなかった。やがて、左手で少年の胸をそっと撫でて、すぐに何事も無かったかのように立ち去って行った。
 見上げる空は数日ぶりに雲が切れ、赤々とした夕日色。

 ――第4回聖杯戦争終結後、3日目の朝だった。


the House forsaken/神は家を見放たり

「戻っていたか、ギルガメッシュ。」
「お前は予定より遅かったな、何か問題でもあったのか」
 裏口から戻ったのか、奥から現れた男に一瞥して青年はまた視線を戻す。
 暗くなる頃からまた降り始めた雨は聖堂の窓を激しく打ち鳴らしている。石造りの聖堂内はその音ばかりを反響させて、人気の無さを更に強調するようだ。

 青年は聖堂の最前列に座り、不遜にその長い足を組んでいる。
「この時代の雑種どもはこんなものを信じているのか?」
 青年の視線の先には受難に苦しむ聖者の像。
 信者を相手にする時にはそれとなく語る男の口はゆくる歪められたまま開こうとはしない。男が濡れた髪と服を拭いていたタオルに目をやるとやや黒く沈んだ染みが広がっている。
「偶像は偶像でしかないだろう。我の時代にはそこかしこに神の痕跡があった……あのクソどものな。しかしどうだ、今のこの世界は……」
 赤い目が細められ、ステンドグラスに描かれる逸話を見上げる。
「気配の欠片すらない。本当にここはお前の神の家なのか?」
「神を知るものは神を敬う、と聞くが……お前は違うようだな」
 あからさまに不機嫌な表情になった青年は立ち上がると軽く男を睨みつける。
「それは神と言うモノを知らぬ故に言えること。知ってかつ言うのであれば余程の痴れ者よ」
「なるほど、そういう捉え方もあるか」

 ゆったりと頷いた男は祭壇の裏から太く長い蝋燭を持ち出す。神のもとへ召された者達の鎮魂の為に灯された蝋燭を長いものに取り替えると目前の十字架を見上げる。そして、同じように見上げる青年を振り返る。
「ところでギルガメッシュ、魔力がかなり減っているようだが?」
「……お前の気のせいだ」
 嘘が下手だと思うが口にはしない、長くは無い付き合いだったがそれなりに青年への接し方に慣れてきていた。もとよりこの男は相手の深いところまで踏み入ることに積極的ではない。
「まあ良い。アレは明日にも届くぞ」
 何がとは青年も尋ねない。聖杯戦争が終わってからここ三日、聖杯の力を受けたとは言え無理を押して男が忙しく立ち回っていたのはそれが主な理由だからだ。
「月が変わる頃には若干減るだろうが、それを差し置いても十分な量は残る」
 薄く笑んだその男は短くなった蝋燭をくず入れに落とし、青年に向き直る。
「我は休む……」
「夕食はどうする?」
 奥へと歩む青年は眉をひそめて男を面倒臭そうに振り返る。聖杯によって受肉した今、青年も体を維持する為に食物による栄養摂取が不可欠となったのは双方承知の上だ。
「済ませてきた。昨夜も言ったが……お前の味覚はどうかしているぞ、言峰」

 そのまま奥へと姿を消した青年から視線を十字架に移し、己の手に落として男は苦笑する。
「神を知らぬから……か」
 神の教えに従い生きる男にとって、青年の言葉は全否定ともなり得る。しかしそれすら承知した上で、生き延びた。泥を浴びても生き延びる程に、黒く染まった己を淡々と受け入れていた。
 タオルを染める黒色は、あの大火で消えうせた罪無き者達の名残り。その中から弾かれた己がこうして生きていると言う理不尽さに、自然と笑みが漏れた。
 夜が明ければ何も知らぬ迷い子達がここへと連れてこられる。自らがエサとして搾取されると知らず、無垢な魂を無防備に晒して。

 そして、朗々と舌に乗せられる祈りの言葉が聖堂に満ちる。
「救われぬ彼らに、せめて僅かな安息の時を……」