記憶の最初にあったのは赤。
そして誰かの笑顔。

病室を共にした同じ年頃の子供たちは残らず親戚や孤児院へと引き取られていった。
俺だけは『一番被害が酷かった地域での唯一の子供』として、念入りな検査の為に取り残されていた。
シンテキガイショー。
マインドケア。
カウンセリング。
キオクショーガイ。
コミュニケーションショーガイ。
そんな言葉で説明しようとする大人たちはまるで外国の言葉をしゃべっているようだった。
うんざりするような日々は気だるく過ぎていくばかりで辛かった。
体の中は空っぽで、どくんどくんと鳴る心臓さえ違和感を感じる。

悲惨な事故から1ヶ月以上。
3月も下旬に差し掛かった頃だった。
誰かが用意してくれたテレビでは近くの小学校の卒業式について何か言っている。
子供の写真を抱えた黒い服の大人が涙を流しながら子供に混じって座っているのが変だった。
コンコン―――
テレビからではない音に振り返ると見たことが無い男がいた。
「君が……士郎か」
今までこの部屋に入ってくる大人たちは不気味なほどの笑顔ばかりだったのに、この男は笑うどころか不機嫌そうな顔だ。
靴音をたてて近寄ってきた男は俺のベッドの傍にある椅子に腰掛けると何も言わず俺を見た。
黙ったまま、1分、2分と時間が過ぎていく。
「成る程、一命を取りとめたわけだな。フッ……」
そうして初めて笑った男は右手を差し出した。
「私は言峰綺礼、神父だ。君と同じ境遇の子供たちを私の教会で預かっている」
「…………」
その右手を無視するわけにもいかず、右手を差し出すとひんやりとした手が俺のそれを包んだ。
ほんの数秒の握手。
たったそれだけだったが、何かこのコトミネキレイという男が普通でないような気がした。
「難しい話は抜きだ、君には理解できんことだろうからな。……明日君は私の教会へ引き取られることになる。最も、先に引き取った子供たちはあらかた引き取り先が決まったが、まあ一人きりということはない、安心したまえ」
椅子から腰を上げた男はそのままドアへと向かっていく。
俺はそれを見送りながらここを出るのかとぼうっと考えていた。
男の手がドアノブに触れる寸前、思い出したように俺を振り返った。
「ああ、それから……明日から君は元の苗字ではなくなる。それだけは理解しておくことだ」
それだけ言うと、また明日、とだけ言い残して男はドアの向こうに姿を消した。
結局俺は一言も話さないまま男の消えたドアを見ていた。

翌日、昼もだいぶ過ぎた頃になって男は姿を現した。
「子供の引き取り手が見つかったので手続きに時間をとられ、遅れてしまいました」
すみません、と頭を下げる男を病院の人間が笑顔で迎える。
「引き取り手、ということは最後の一人ですか?」
「はい、子供の方も早く新しい家に行きたいというので先ほど見送ったところです」
「そうですか、それは本当に良かった!」
「今回のことは本当に悲劇としか言いようがない。この子も含めて、子供たちには幸せになってもらいたい。聖堂教会には尽力していただいて本当に助かっております」
大人たちの話は暫く終わらず、俺はつれてこられたその部屋のソファに座ったまま天井を見ていた。
それからどれだけ過ぎたか、気が付けば外はオレンジ色に染まっている。
「はい、では、こちらが書類と……はい、こちらにサインで、はい、結構です、はい」
やたらはいはいと言う禿げた男は何度か見たことがある、市役所の児童福祉課というところの人だ。
テカテカと光る頭をハンカチでよく拭く。
「それでは、宜しくお願いします……士郎君もがんばるんだぞ!」
やっぱり笑顔だらけの大人たちに見送られて俺は病院を後にした。
そう言えばこの病院を外から見るのは初めてだ。
誰かがここまで俺を運んでくれたのだと言っていたけれど、それが誰かは誰も知らないと言っていた。

前を歩く男―――言峰綺礼を追って俺も走る。
ようやく追いついてその横を歩く。
男を見上げるとチラリと目だけで俺を見る。
「何か欲しいものはあるか?」
首を横に振った。
ボランティアの人がくれた服がいくつかあったし、欲しいものを思いつくことがなかった。
「無欲なものだ……我侭が言えるのは子供のうちだけだ」
「…………」
並ぶ影が二つ、長いのと短いの。
それは俺と男のものだ。
その一つが止まる、俺が足を止めたからだ。
ビルの向こう、真っ赤な夕日色のその中にぽつんと黒い山。
「気になるのか?」
男を見上げるとやや目を細めてそれを眺めている。
どちらからともなく足をそっちに向けて再び歩き始めた。
いくらも歩かないうちに瓦礫の山がいくつも見えてきて、その山を越えるとガーン、カーンと工事のような音がする。
「…………あ」
「1ヵ月半前、君はここにいた。この廃原の中央の辺りだったらしい、そこで生き残ったのは正に奇跡だったのだろう」
大きなショベルカーが瓦礫をダンプカーにのせていく。
「ここは公園になるそうだ……こんな場所に住みたがる人間はそうはいないだろうが」
黄色いテープで区切られた向こう、そこに俺は確かにいたんだ。
太陽の色に似たその土や瓦礫は、触ったらあの時みたいに熱いのだろうか。
思わず足を踏み出しかけたところで目の前に何かがあるのに気づいた。
「行くぞ、早く帰らねば夜になってしまう」
それは、手。
男が差し出した左手を、促されるまま右手で握る。
そのまま男は踵を返して歩き始める。
相変わらず男の手は冷たくて、ほっとする。
あの熱い夢は終わったのだと、わかる。

最後に一度だけ振り返った。
たぶん、俺が生まれ育った場所。
もう戻れないそこに一言だけ。

「さよなら……」