「あ……」

私の顔を見るなり、間抜けな声を上げたマスターを白眼で睨みつける。
「アーチャー、どうしたんだ?」
「どうしたんだ、ではない。今が何時かわかっているのか?」
「あ……」
今度はしまったという顔になる少年にため息をつく。
衛宮士郎の左手首にはまっている腕時計は間もなく0時を指す。
「学生が就労を許されている時間は22時までだと言っただろう、それをお前はいつもいつも……」
「悪かったって。でもさ、大晦日の棚卸なんか少人数でそんなに早く終わるわけ無いだろ。仕方ないんだ。それに……ちょっとだけど給料も上乗せしてもらったし――」
有無を言わせず赤茶けた髪が跳ねている脳天に拳骨をひとつくれてやる。
痛いだの鬼だの騒ぐのを放ったまま私は歩き始める。
すぐに追いかけてくる足音が聞こえて横に影が並ぶ。

「うぅ、寒……。なあ、アーチャー、どこ行くんだ?」
家は逆方向だろ、と暗に言われて傍らの少年を見下ろす。
頭一つ分下で髪の色によく似た瞳が二つ、私を見上げている。
「なに、どこかで夕食を済ませて初詣へと思ってお前を待っていたが、この時間では夜店くらいしかないだろうからな。」
「おまえ、待っててくれたんだ?」
それ以外の理由で少年のバイト場まで行くことがあるというのだろうか。
返事をしないまま、少年のペースに合わせて暗い道を歩く。
新都のメインストリートに出ると深夜にも関わらずかなりの人の行き交いがある。
「む……」
あちこちから一斉に、色々な音が沸きあがる。
鐘の音、クラッカーの音、人の声、深夜営業の店の喧騒……。
「明けたみたいだな。」
少年の腕時計の長針と短針はピッタリと重なって上を向いている。
「明けましておめでとう、今年もよろしくな。」
「ああ、せいぜい宜しくされてやる。」
「なんだよ、偉そうだなあ。」
むっと口を尖らせる表情は普段より幼く見える。
そんな様子に自分の頬が緩むのがわかったが、今日は浮かれていて誰も気付かないだろう。

目的の神社は11年前の第4回聖杯戦争の最終決戦の舞台となった、あの公園の外れにあるので敷地は広く社殿も真新しい。
いつもは人気の無いその公園も、一年に一度、この時ばかりは人で溢れ返る。
ただし、他の神社のようなただのお祭り騒ぎというにはやはり陰りがある。
「あ、たこ焼きだ。アーチャーも食うか?」
小首を傾げて私に尋ねる表情は、勿論食うだろ、という確信を秘めていることに誰が気が付くだろう。
私の前でだけ見せる士郎の子供じみた言動や表情は、私だけに向けられた、私だけのものだ。
「そうだな。……おい、一人で動いてはぐれるなよ。」
「子供じゃあるまいし、大丈夫だよ。」
文句を言うのを無視してその手を掴む。
少年の頬が林檎飴のごとく赤くなる。
人ごみの中でなら手を繋いでも気付かれない、文句はないと踏んでのこと。
俯き加減に大人しく手を引かれる、それに少しだけ優越感を感じる。
「どちらにする?」
「うーん、じゃあ……両方。半分ずつにすれば良いだろ?」
夜店のおやじにたこ焼きとあんかけのせを一つずつ頼んで暫らく無言のまま待つ。
「なあ、アーチャー。」
「何だ?」
「1時間以上ずっとあそこで待ってたのか?」
手袋のない手を擦り合わせながら訊ねられ、ふうとため息をつく。
「いや、待ったのは30分ほどだ。どうせ棚卸が時間内に終わるとは思えん、タダ働きになろうが何だろうが途中止めして帰らないなど、お前の考えそうなことだ。」
「なんだ。」
「なんだとは何だ?」
「……別に。」
拗ねた少年の頭をくしゃりと撫でておやじから包みを受け取る。
昔ながらの経木に包まれたそれは木の良い香りが混じって食欲を誘う。

石のベンチに二人並んで腰掛けて包みを開く。
低くなった視線は同時に他の人間の視界から私達を遠ざける。
慣れないあんかけのせたこ焼きにアレコレと感想を言う少年はふと私を見上げ、竹串に指したたこ焼きを差し出す。
「ほら、結構面白い味だぞ。」
素直にそれを口にすれば、私の膝に上にある普通のたこ焼きを二つ掠め取っていく。
「うん、やっぱり普通の方が良いかな。アーチャーはどうだ?」
「そうだな、冬ならばあんかけ乗せも冷めにくくて良いだろう。だが、やはり慣れた味の方が美味く感じるな。」
すると目を大きく見開いた少年が不思議そうに首を傾げる。
「たこ焼きの味なんか覚えてるのか?」
「お前がいない時に大河がよく買ってくるのでな。」
「なんだ、つまらないな……。」
また拗ねるのも、竹串に刺したたこ焼き一つを口元に当ててやるだけで直る。
「んー、美味い。」
ふにゃ、と無防備に笑う少年を横目に私はカラになった包みをごみ箱に捨てた。

初詣は人ごみの中、それでもスムーズに進み、二十分ほど並んだだけで賽銭箱の前にたどり着いた。
二人分だから少し奮発しなきゃな、と五百円玉を投げ込むのを半眼で見ながら、少年に倣って手を合わせる。
暫しの沈黙。
そして人の流れに沿ってまた歩き始める。
「なあ、アーチャーは何を願ったんだ?」
杯に1杯のお神酒を飲み干した後でそんなことを唐突に訊ねてきた。
「別に願などない。そう…だな、あえて言えば誓い――ならばしたが。」
「おまえのことだからまた、世界を守る、とかじゃないだろうな。」
「残念ながら、もっと私的なことだ。」
「ふぅん?あ、おみくじ引いてくる。」
巫女装束の少女から籤を受け取り、隅の方でこそこそを開いている。
「……恋愛ハ早々ニ実リアリ、良かったな。」
「うわっ、何見てんだよ!」
「学問ハ気ヲ抜カヌヨウ、か……卒業だけはしろよ。」
「卒業はできるさ、言われなくても!」
ぷりぷりと怒りながら夜店を見て回る。
ボール掬いを競ったり、射的を全弾命中させてオヤジに頼むから帰ってくれと泣きつかれたり、迷子の子供の手を引いて親を探したりで、気が付けば5時を過ぎている。
「……ふわッ」
小さく欠伸をしたのを見逃さず、握る手の力をほんの少し強める。
「眠いか?」
「いや、大丈夫。ただ今日……昨日は結構動いたからな。」
「若さが感じられん言葉だな。」
「仕方ないだろ、昼は昼で休み無く部活だし、夜はバイトだし。」

地元の大学の工学部へ推薦で合格が決まっている士郎は、前部長と藤村大河の頼みで冬休みに入ってからずっと弓道部の指導を手伝っている。
全国大会への進出が決まった時、『出てくれなきゃ卒業させないんだからーッ!』という大河の一声で弓道部へ復帰した。
個人部門で最優秀の成績をおさめたおかげで推薦合格したといっても過言じゃないという、ある意味理不尽な理由で朝から夕方まで学校の道場に篭もりっきりだ。
年末年始くらいは休めば良いというのに、後輩が新年の礼射手に選ばれたからといって休もうとしない。
気が気でないのは私の方だ。
ただでさえ魔力供給の負担で体がなかなか休まらないのだ。
だからといって休める性格でないというのがわかるからどうしようもない。

「眠ければ寝ても良いぞ、負ぶって帰ってやろう。」
「ゲ……それは勘弁してくれ」
恥ずかしそうに顔をしかめるのを見てふと悪戯心がわきあがる。
「ふむ。」
「おまえ、今良からぬことを考えてるだろ!」
警戒して繋いだ手を解こうとするのを逆に引き寄せて抱きとめる。
「捕まっていろよ。」
「え……え?う、わ――ッ!」
胸に少年を抱いたままダンッ、と地面を蹴る。
見る間に高度を増す。

少年は足元を見て、私にしがみ付いてきた。
「着いたぞ。」
誰もいないビルの屋上には私と少年以外には、クリスマスから残っているらしいイルミネーション。
チカチカと点滅するそれは間近で見ると無骨であまり綺麗ではない。
高いフェンスの外側の広くは無い空間に二人で並んで街を見下ろす。
「高いな……最近また高層ビルが建ったんだよな。ここもその一つか?」
「ああ、12月の半ばに建ったばかりだ。」
吹き上げるビル風にコートの裾がバサバサと音をたてる。
「寒くないか?」
「え?あ、うん。大丈夫だ。」
腰丈のダッフルの中は薄いシャツ一枚のはずで、でも強がって言っているわけではないらしい。
視線を町並みに戻すと
「こうやって見ると、この街の夜景も綺麗なんだな。端の向こうまで見える。」
内側のフェンスに比べて頼りない手すりに凭れ掛かって下界を眺める。

「アーチャー」
「何だ?」
お互い、前を向いたままで言葉を交わす。
「俺、アーチャーが幸せになればいいって願ったんだ。」
「ほう、私は神頼みでもしなければ幸せにはなれんと。」
「そういうわけじゃないけどさ、お前って自分のこと二の次だろ。俺が祈っててやらなきゃ、絶対に自分の願い事なんかしなさそうだ。」
「その言葉、そっくりそのまま返すぞ。」
「じゃあ、お前は何を願ったのさ。」
士郎の方を向けばあちらも私を真っ直ぐに見ていた。
「そうだな……」
左手のポケットを探れば指先に固い感触。
迷わずそれを掴んで少年に突き出す。
「は?」
何も考えず受け取ったらしい少年はソレをまじまじと見つめる。
「……なんだこれ」
「見てわからんのか。」
「わかるさ。何でコレを俺に見せるのかってことだよ。」
金色の小さな輪を指先で摘まみながら少年は怒る様子だ。
「お前にやろう。」
「俺が貰っても仕方ないだろ――!」
ずいっと突き戻してくるソレを受け取らず冷ややかに少年を見下ろす。
「私が言っている意味がわからんのか?」
やれやれという私の態度に益々怒る顔付き。
「こういうことだよ、衛宮士郎。」
挑戦的に見上げているその顎をとってその唇を奪う。
すぐに離れたそれにポカンと呆けた顔。
「どういうことだよ。」
「まだわからんのか?求婚しているのだ、たわけが。」

「――なななな、何言ってるんだよ、ば……馬鹿じゃないのか、オ、オレおと、男だぞ!ちょっと、アーチャー、お前どっか頭打ってるんじゃないか?」
本気で心配している顔になる。
「失礼なヤツだな、お前ではあるまいし。私はちゃんと正気だ。」
「で、でも、求婚って……オレにするもんじゃないだろ!」
「ふん、いらんのならそこから投げ捨てろ。」
言葉に詰まる少年は、親指と人差し指の間にあるそれを困ったように見つめている。
「他のヤツじゃダメなのか?遠坂とか、藤ねえとか……」
「お前でないと意味が無い。」
「なんでさ……」
上目遣いに私を睨む少年の頬は俄か赤く染まっている。
「衛宮士郎を幸せにする。」
「な、なにさ!」
「私が神前で誓ったことだ。」
頬といわず首まで真っ赤にした士郎は視線をあちこちへ彷徨わせ、意味の無いうめき声を漏らしている。
「う〜〜……それって――」
「世間で言うところのプロポーズだな。」
「プ……プロ…――!?」
暫らくまた百面相のようなことをしていたが、何かを考え込むように目を閉じてしまった。

「それって……」
再び上目遣いに見てくる。
「本気なのか?」
「冗談で男にプロポーズなぞできるか。」
「う……ッ」
くるくると指先でそれを弄びながらまた視線を彷徨わせる。
「それって、それって……俺が、その、嫌いじゃないと?」
「嫌いで言えるものではない。第一嫌いな人間をわざわざマスターにしようとは思わん、抱かん、こんなものを渡さん。」
「あわ……」
ポンッと一段増しで赤くなった顔を腕の中に埋めて視線だけこちらに寄越す。
「恥ずかしげも無くよく言うな……」
「恥ずかしがることではないだろう。」
「でも、もうちょっと言い方があるだろうが!」
ぶつぶつと難癖をつけてくる少年を前に腕組みで構える。
衛宮士郎という男はとことん、不慮の出来事に対する思考の整理ができないのだ。
「いらんのなら捨てろ、もしくは壊せ。」
「そんな勿体無いこと出来るか!」
「勿体無い、無くないの問題ではない。私を受け入れるか、否かだ。」
「うぅ―――」

士郎は泣きそうなくらいくしゃくしゃとした顔になる。
私の口からため息が漏れる。
それにビクリと肩を揺らして、仔犬のような表情で私を見る。
「わかった――いいからそれを捨てろ。脈はあると思ったのだがな。」
「べ、別におまえのことは嫌いじゃないさ!」
言ってからまた顔を赤くして伏せる。
「嫌いじゃない。でも、俺オトコだぞ?お前だったら他の女の子の方が似合うし、その方が幸せになれる。」
「自分の幸せくらい自分で選び取る。」
「なんだよ、ここに召喚されてきて顔にデカデカと不幸って書いてあったヤツが。オレなんか相手にしてないでもっと他になんか考えろよ!」
「たわけが――ッ!」
一喝にビクついたように及び腰になるのを見て内心舌打ちした。
「怒鳴って済まない。しかし、私の幸せを願うと言うのなら……士郎、君の正直なところを聞かせて欲しい。」
正面から向きあって真摯に語りかける。
この少年がどれだけ強情か、私には痛いほどわかる。
だから半ば諦めを込めての言葉だった。

「…………い」

微かに聞こえた言葉は下から吹き上げてきた風に飲まれて聞きとれなかった。
「済まない、今なんと……」
「これは捨てない!」
憮然としてそう言い切った。
唖然とする私を前に少年は啖呵を切ったように早口でまくし立てる。
「これは俺が貰ったんだからこれをどうしようと俺の勝手だろ?だからこれは捨てない。捨てるもんか!だからこれを俺に捨てさせるのは諦めろよ、勝手に取ってったら泥棒だからな!っていうか十分泥棒だよ、まったく……」
「ひとを泥棒扱いとは聞き捨てならんな。」
「ああそうだよ。ったく……俺の心掻っ攫って行きやがって、しかも居直り強盗並に厚顔無恥で俺様。オレ、大人になっても絶対におまえみたくならないぞ。」

暫し時が止まった。

「それは、どういうことだ。」
「どうもこうも、言葉どおりだ。」
「……私に都合良く解釈しても良いのだな?」
「ああ、しろしろ。俺にここまで言わせたんだ、後は勝手に考えろ!」
薄明るくなってきた空に視線を飛ばしながら、オーバーフロー気味の頭を回転させる。
「……受け入れると言うのか?」
「それ以外にどう解釈するんだよ。」
本気で怒っている。
それはわかるが口元が緩む。
右手で口元を覆い隠してしまうが、どうも一瞬遅かったらしい。


ニンマリと笑った士郎は私の様子を見てまた笑みを濃くする。
「おまえみたいな偏屈、任せる子が可哀想だし。仕方ないから俺が貰ってやる。」
「この場合、お前が私に貰われるというのが正しいのではないか?」
「口出しするな、居候!」
「今日から同棲だがな。」
目を瞬かせて士郎は顎に手をやる。
「む……そういうことになるのか?」
「一般的にはそうだろう。」
「そっか……」
少しはにかみながら、真っ直ぐに私を見てくる。
「アーチャー」
促されて少し腰を屈めれば、少年の冷えた唇が私のそれに重なる。
「かえす物がないからとりあえずこれで我慢しといてくれ。」
頬を赤くしたままそう言い捨てる少年を背中から腕の中に抱きこむ。
「お前で十分だ。」
「は、恥ずかしいコト言うな馬鹿!」
「馬鹿で結構、お前がいるならな。」
首を捩って振り返ろうとするのを途中で唇を奪う。
深く絡めとった舌でくちゅくちゅと音をたてて蕩けさせる。
「はぁ……」
貪りつくしてようやく離れると潤んだ瞳が文句を言いたげに私を見ていた。
「早まったかも……」
「今さらさっきの言葉をなかったことにはさせんからな。」
「わかってるよ――」
むっと尖らせる唇にもう一度触れるだけの接吻を施して向かい合わせに抱き上げる。

「しっかり捕まっていろよ。」
「放すもんか。」
その言葉に別の意味も込められているように感じたのは私の希望かもしれない。

けれど確かに、抱き返す腕の強さがある。
それをたしかめて、朝焼けに染まる街へと跳び発つ―――。